久しぶりに一人で目が覚めた。
朝の日差しが窓から差し込む。寝起きは悪いわけではないから、布団の中でぐだぐだすることもせず起き上がる。ぐだぐだしたいのは、そう、隣に愛しい人が居るときだけ。一人で眠るベッドは大きすぎてどこか落ち着かない気持ちにさせるので、さっさと出てしまうのが正解だった。
窓際に立ちカーテンを開ければ、良い青空が浮かび上がる。こんないい天気の日に徹夜明けの新一を思って、さて、どのように迎えてやろうかと首を傾けた。
「ほんっといい天気」
傾けた首からぱきっと音が鳴る。あんまり鳴らしちゃいけないんだっけと思って首筋を撫でると、余計に新一に会いたくなった。
(あの日も、こんな空だった)
抜けるような青は透明で、遠くに行くにつれその色味を深くする。大学に入りたての日、構内のテラスカフェでマシュマロ入りココアを味わっている快斗にかけられた声。まだ春の匂いがふんわりと漂っている中で「ここ空いてるか」と聞こえた音が、耳に馴染んだ音だった。
それが最初。キッドとコナンとしてではなく、快斗と新一としてのファーストコンタクト。
距離が縮まるのはすぐだった。元々、相手のことはよく知っている。癖や好みや、嫌いなものまで。嘘も真も内包した関係に、安らぎを覚えるのは必然で、毎日つるむようになってボディタッチすら増えていった。距離が近いことに違和感を覚えなかった快斗へ、突っ込むようにコメントを残したのは、同じ大学に進学していた服部だ。
季節は梅雨になっていた。講義室で服部と並んで静かに読書をしていた新一の肩に、何読んでんのと快斗が顎を乗せたのだ。
「Crooked House」
新一の口から淡々と溢れたのは、彼の敬愛するホームズではない女性のもので。こいつが読めってうるさいからと、追加されたセリフにほーんと納得する。納得して、少しチクリとどこかが傷んだ。
「お前らジメジメする日に熱気上げるようなことすんなや」
服部の呆れた声に右へと視線を流す。顎は肩から離さなかったから、少し睨むような形になったかもしれない。ぽん、と、宥めるように新一が右手を快斗の頭に載せた。腕で服部とのラインが遮られる。それだけで痛みはどこかへ消え、ほわほわとした暖かさが生まれるのに瞳を細めて分析する。これはなんだ。どういうものだともっと深みへ行こうとした快斗を引き戻したのは、講義室の入り口で快斗を呼ぶ白馬の声だった。
その出来事からしばらく、快斗は不可思議な感覚を外から見つめることが増えた。それは新一に関係することで多く起こるらしく、今までにない動きを快斗へともたらす。匙を投げる服部、なにか微笑ましいものを見るような白馬、そして何も変わらない新一。
変わらないことを不服と感じ始めたのはいつだったか。季節は夏になっていた。抜けるような青い空の下に新一がいて、なんだか眩しすぎて瞳を細めた瞬間、理解した。パズルがはまるように、それは起こったのだ。
(ああ、俺、新一のことが好きなのか)
青天の霹靂、とは言わないそれが、ストンと落ち着く。あまりにも当たり前過ぎて、ようやく手に入れたと思った。
そこからはもう坂道を転がるごとく、一挙手一投足が快斗の心に降り積もる。降り積もりすぎて満杯になった心は、秋空の下、新一へと捧げられた。
「好きだ」
ほんの僅か目を見開いた新一が、次には口角を上げる。空と同じ蒼い瞳が快斗を捉え、わずか顔を赤くした快斗へ悠然とこういい切ってみせた。
「今頃気づいたのかよ」
満杯になって捧げた心は特大の塊に押しつぶされた。好き、大好きと繰り返す。行動範囲も新一とシンクロしていく。秋が深まるごとに新一の家へと快斗のものが増えてゆき、そうして冬に差し掛かったある日、突然連絡が取れなくなった。
冷たい空気が快斗の肺を埋めていく。溺れるように鳩を放ち、探った先には事件に巻き込まれた名探偵の姿。やっぱりと思う心とどうしてと思う心が同居する。連絡の一つくらいよこしてくれれば、いや、そんな新一はらしくない。快斗の好きな新一はいつだって謎に向かって脇目もふらずに直進するのだ。でもでも、ああ。大きく息を吐きだした。
あんまり警察とは関わり合いになりたくないのに。けれど新一に会いたい気持ちが止められずに、彼を迎えに行くことを決意する。幸い事件現場はすぐそこだった。ハンググライダーを使うまでもない。車で迎えに行っても良かったけれど、なんだか歩きたくなって足を踏み出した。白い鳩が先導するように頭上を回る。
たどり着いた先、KEEP OUTのラベルの向こう、新一が推理を終えたのが見えた。疲れた顔をしている。薄っすらとクマの浮かぶ様を観察する快斗の視線に気づいた新一が、こちらへと近づいてくる。彼から手を伸ばされるのは極稀だ。懐くように肩に載せられた頭。ささやき声が耳へと入る。
「快斗の味噌汁が飲みたい」
反射的に答えた。
「鍵よこせ」
今までこんなに一緒にいても、鍵を強請ることだけはしなかった。けれど思ってしまったのだ。どうせ待つなら新一が帰る家で待ちたい、と。
あの日と同じ疲れた顔で帰ってくるんだろう。現実に戻り窓からの空気を肺いっぱい吸い込んで、疲れた身体と精神を癒やすメニューを考える。まともに食事もせず、コーヒーで胃は荒れているだろうから、優しいものがいい。具だくさんスープ?おかゆ?さて、どうしてくれようか。
(コンソメ、鶏ガラ、醤油、トマト)
味を思い浮かべながらキッチンへと移動する。冷蔵庫を開けて野菜室を覗き込めば、ズッキーニがひょこりと顔を出した。ミネストローネ……ベーコン……ちょっと重いだろうか。軽さも重さも色んな味も、全部まるごと提供したい。欲張りセットを叶えるならば、ベースはさっぱりなんでも包み込む白粥に、様々なトッピングでバイキングとしよう。
「よっし」
方向性は決まった。冷蔵庫を一旦閉めて、土鍋を取り出す。半合より少し多いくらいの米を研いで、たっぷりの水を注いで。沸騰するまでの間に、もう一度冷蔵庫を開け、いろいろな材料を取り出した。
海苔の佃煮、梅干し、大葉にザーサイ、とりのささみと豚ひき肉、高菜に赤ピーマンとそれからオリーブオイルに漬けたトマト!
和洋中、どれも満遍なく楽しめるように組み立て、小鍋にお湯を注ぐ。火にかければすぐ沸騰するから、そこへささみを投げ入れた。そのまま再沸騰まで25秒。すぐに火を止め蓋をする。
「海苔はそのままでいいとして、梅叩くか」
どうせなら器にもこだわりたい。食器棚を開けて見回していると、ぽつんと一つ、鰹節パックが壁に立てかけられていた。どうしてこんなところに。救出して暫し考え、これもトッピングへと仕立て上げることにする。
少し深めの小皿に鰹節を出し、冷蔵庫からチューブ生姜を取り出して同じ小皿の中にイン。白醤油を回しかけしっかり混ぜれば一品目、おかか生姜の出来上がり。
次に取り出したるは小皿四つ組。深い青の色合いがそれぞれニュアンスの違う表情をしている逸品だ。これを選んだとき、新一みたいだなあと思ったんだっけ。数多くある快斗の荷物のうち、割れ物といえばこいつらだった。ひしめく工藤家の食器棚へ、ちょこんと存在を主張するように置かれた快斗の私物は、全て新一へと帰結する。
さてこれに乗せるは海苔と梅と大葉とザーサイ。梅は叩いて、大葉とザーサイは細かく切って。それぞれに盛り付ければ、一気に四品の完成だ。
そうしていると土鍋の水面が白くなっていた。沸騰した合図だ。弱火に落として木べらで底からかき混ぜる。剥がすように剥がすように。どうぞ美味しくなりますように。
蓋をずらして被せれば、あとはおかゆになるのを待つばかり。トッピングの続きに取り掛かる。
高菜と赤ピーマンを刻んでおく。ごま油を敷いたフライパンに、常温に戻った豚ひき肉を投入して色が変わるまで炒め、高菜と赤ピーマンを追加して軽く混ぜ合わせる。味付けは砂糖と醤油。先に砂糖を入れて、しっかりと味をなじませ、醤油はフライパンの肌に沿うように回し入れ香りを引き出す。濃い目の味付けになったことを確かめて、出来上がり。
そろそろささみがいい頃合いだ。取り出して粗熱が冷えるまで放置する間に、もう一つ。トマトのオリーブオイル漬けを手に持った。これだけでも美味しいけれど、何かひと手間加えたい。視線をさまよわせると、窓際に茂るバジルと目が合った。キミにきめた。
これもまた、快斗が新一の家に居つている証。こまめな世話はそんなに必要ないけれど、放置しているとすぐにだめになってしまう。まるで新一を欲しがる自分みたいだなあなんて、口には出さないけれども。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。大振りで、柔らかそうなものを選んで摘み取る。そのまま手の中でざっくりと千切って、取り出したトマトと混ぜ合わせ器に盛る。
さて、最後はささみ。まだ少し熱いそれを手で割いて、筋を取り出す。割いたささみに白だしを少量かけて軽く混ぜ合わせれば、最後の品の完成だ。
合計八品。ダイニングテーブルへと運んでセッティングすれば、我ながら美味しそうなバイキングではなかろうか。自画自賛しつつ、粉チーズとごま油もセッティングの仲間に加えたとき、玄関の開く音がした。迎えに出たいのをぐっと我慢して、土鍋の蓋を開け具合を確認する。もういいかな。まだちょっと?もう一度蓋をする。新一の足音が聞こえる。
「いーにおい……」
「おかえりー。手、洗ってこいよ」
「おー」
「うがいも忘れんなよー」
少し顔をのぞかせてすぐに去っていく新一は、やっぱり疲れた顔をしていた。まずは水分補給かなーと、冷蔵庫からレモンのシロップ漬けを取り出して炭酸で割る。クエン酸の酸っぱさで少しでも疲れが取れるといい。戻ってきた新一に手渡して少し待っているように言う。
「なんか豪華だな」
「さっぱり目から濃い目までなんでもあるぜ。快斗くん特製、愛情込めたおかゆバイキングです」
こくこくと飲みながらふわりと笑った新一に、ちょっとは疲れが取れたかなと思う。
「それは?」
「土鍋で炊いたおかゆ。ちょっとまってな。もうできる」
蓋を取れば蒸気が立って、甘い米独特の香りに癒やされる。塩を振って味を整えれば出来上がり。
「さ、食べようぜ新一」
土鍋を持ち上げ食卓へ。とりどりのトッピングたち。その真ん中に置けば美味しい朝ごはんの完成だ。
「「いただきます」」
両手を合わせて、声は揃った。そんな些細なことがとても嬉しい。
とろとろふっくらと炊きあがったおかゆに色々トッピングして。和風、洋風、中華と変わっていく味を楽しむ。対面の新一が美味しいと言ってくれるから、用意したかいがあるなと胸をなでおろすのだ。
「おかわり」
「おー、よく食べるな。普段は食わないくせに」
「食べない俺に合わせて作ってくれるのサンキュな。愛してるー」
「おれもあいしてるー」
付け足された愛の言葉に、軽口の愛の言葉で返して。可笑しくなって二人笑いあった。
最後の一口はさっぱり梅味で。口の中で消えていくのを堪能してから器を置いた。
「あー、もう終わりか」
「物足りない?」
「少し」
「デザート作るけど食べる?」
「食べる。何?」
「推理してみな名探偵」
にやりと笑みを刷いて挑発すれば、新一の瞳が面白そうに細められる。
「お前、これがやりたくて少なめにしただろ」
「なんのことですかねー」
「捜査は?」
「なし。安楽椅子探偵でお願いします」
顎に手を添えてお決まりのポーズで瞼を閉じる。推理をしている新一が一等好きだ。彼の全部を使って追いかけられるのはたまらない。だからか、数多くの犯人に少し嫉妬してしまう、けれど、人殺しは良くないから是非捕まえてくれと思う。
「焼きバナナ」
「ほう。その心は」
「普通のバナナだと甘みが足りねえって前言ってたからな。パフェなんて重いもの持ってくると思えねーし、ヨーグルトだと手間が少ない」
「手間が少ないのはいいんじゃない」
「お前は満足しない。そうだろ、快斗」
お見通しだと空の瞳は言う。その持ち主を形作っていく食事を提供できるのは、彼を構成する細胞を作っているに等しく、だから自分は手を抜かないし、最高のものを提供し続けたいと思う。
手に入れた彼を完膚なきまでに俺色に染める。最後は盗みではなく与え続けることで、怪盗は黒羽快斗に変わるのだ。
「……正解だ、名探偵!」
それまではこうやって、些細なゲームで日常を彩りながら、彼の帰りを待っていよう。勝ち取った居場所で、最高の食事を、貴方と共に摂ることを幸せに思いながら。